文武両道…若かりし日々 (4)

剣道部

2014年09月01日更新

剣道部130年の1ページ

大森 宣昌(昭和38卒)


昭和42年の全国2冠を讃えて秋高剣道場に掲げられている扁額

 現在の校舎正面の右奥に風格ある木造の剣道場が建っている(昭和59年完成)。道場内には歴代の指導者や剣道部長、明治時代からの高名な大先輩たちの名札や扁額がびっしりと掛けられていて、まさに壮観である。

 部の創設は明治16(1883)年とされるが、正統な歴史は『剣道百年史』(昭和61年剣友会発行、編集委員長吉井忠亮先生)に譲り、部活動の回想を50年ほど前の私の在学を中心に書き進めることをご寛容いただきたい。

 「我が秋田中学、秋田高校剣道部は、輝かしい歴史と伝統をもつ全国優勝4回を果たした名門中の名門である。新入部員は誇りと自信をもって文武両道に励んでほしい。教室で居眠りが出ても、けっして姿勢を崩してはならない。そもそも剣道は……」

 これは、私の入部時(昭和35年4月)の剣友会初代会長小泉重憲先生の歓迎会の祝辞の冒頭である。

 学校は昭和37年3月、17連隊兵舎跡の旧舎から現在地手形の当時の新校舎に移転し授業を開始していた。間もなく3年生になる我々は、リヤカーを借り部員総出で体育館2階の新道場へ防具、竹刀、剣道着などを運び込んだ。雪の光るうぐいす坂を何度も往復したが、リヤカーがパンクして大変難儀した。

 その頃の稽古(練習といわなかった)内容は、切り返しに始まり、基本打ち、技の稽古、掛り稽古、地稽古、掛り稽古、最後にまた切り返しであったが、3時半から5時までの1時間半できっちり終わった。試合が近づくと練習試合が増え少し変わったが、ほとんどこのくり返しである。現在のように、しょっちゅう遠征や合宿はしなかった。当時も「秋田の荒稽古」といって全国に知られていたが、特に厳しかったのは後半の岩谷先生への掛り稽古であって、途中道場から脱走した部員もいた。前もってこのことが分かっていれば、私は入部しなかったかもしれない。先生の指導は合理的で細かく一対一の手作り修練法であった。真赤な顔で道場に仁王立ちし、「お前達(おめだち)の剣先だばトンボ止まる。切先三寸ピリッとしてねばダメだ」「間合が近(ち)け」「どっから打ってぐ、遠(と)ぎ」など、思い起こせば先生の熱い声が聞こえてくる。恐い時もあったが、抱擁力のある実に人間味豊かな恩師であった。大試合の前には決まってこう言われた。「これまでの苦しい稽古を考えてみれ。いが、負けるはずね」。こういう時、部長であった山谷浩二先生はいつも穏やかに頷かれていた。

 雪が積もると、岩谷先生の道場到着が少しでも遅くなるように願って、職員室出入口から道場までの20m間に長く蛇行する雪道をつけた。これは毎回1年生の役割であったが、先生は物ともせず蹴散らして入ってこられた。私の在部3年間、先生が休まれた日は一日もない。また、道場で思い出されるのは、神棚のご神酒が時々消えたことである。誰かがそっと買い足していたようだが、未だにはっきりしない。

 昭和36年10月、第16回秋田国体が開催され、湯沢市で試合が行われた。私は団体戦副将(5人制)で出場し、チームメイトの活躍で決勝へ進出した。相手は宿敵宮城県の小牛田農林であった。1勝2敗で私の番になり、勝てば大将戦になって優勝できたと思うが、胴を抜かれて万事休した。その瞬間の夢を今も見るが、悔しさはない。


秋田国体出場時の秋高剣道部(前列、昭和36年)

 私が卒業した4年後の昭和42年8月、ついにインターハイで優勝した。戦後初の全国優勝であったが、同年の国体でも頂点に立ち2連覇を果たした。さらに翌年のインターハイも制し、全国優勝連続3回という高校剣道界初の偉業を達成した。白の道着と白袴、赤胴が全国中学校剣道部員の憧れとなった。岩谷先生は選手たちの高い素質を見抜き、無駄な稽古をさせず、1日45分に精神を集中させる「岩谷式修練法」をもって鍛えたという。このメンバーと時々痛飲するが、酔うほどに誇りと自信が蘇る。

 だが、130年に及ぶ剣道部栄光の歴史は、もちろん選手だけが築いたものではない。それは、毎日誠実に淡々と稽古に励んだ部員一人ひとりの青春の証しである。

 現在、剣友会有志が集まり、月の第3木曜日に「誰でも歓迎」の稽古会を実施している。現役部員も参加するが、世代を超えて剣先を交え、懐かしくも楽しい汗を流している。

 終わりに、剣友会の一層の発展と部員の全国的活躍を心から祈念して筆を措く。


昭和36年10月13日付 秋田魁新報

  • 昭和36年の第16回国体秋季大会(秋田)で、秋田県が剣道で総合優勝を飾ったことを伝える新聞記事。
  • 湯沢体育館で行われた剣道高校の部では、準決勝で秋高が千葉の安房高校を4‐1で下して決勝に進んだ。決勝は宮城の小牛田農林に4‐1で敗れ準優勝。一般の部も決勝で愛知県に3‐2で惜敗し準優勝だった。しかし、総合順位で秋田県は首位に躍り出て見事優勝を果たした。

大森 宣昌 (S38卒)

大森 宣昌おおもり のぶまさ さん (S38) プロフィール

立正大学卒業後、同大学院(修士)修了。同大学仏教学部教授。平成10年3月同大学退職。現在日蓮宗本妙寺住職。秋田県宗務所長。全日本剣道連盟評議員。
剣道教士七段。秋田高校剣友会会長。