同窓会支部活動 (2)

近畿支部

2014年09月01日更新

母校への思いひとしお 浪花の街にこだまする校歌

宇佐見一雄(昭和33卒)

 秋田高校同窓会近畿支部は大正4(1915)年の第1回全国中等学校野球大会の時がはじまりであると聞く。この年の8月、在阪の秋田中学卒業生は、当時既に活動していた秋田県人会と合同して「必勝、三吉大明神」の幟を担いで豊中球場へ馳せ参じたと伝わる。まだ甲子園球場のない時代である。以来ほぼ毎年、同窓生有志が浪花の街に相集い、美酒に酔い、校歌を放吟してきたはずである。残念ながら戦中、戦後はしばらく中断を余儀なくされたが、昭和24年、戦後初めて在阪同窓会を開いた。先年(平成21年)戦後再開60周年を祝ったところである。

 現在、支部会員は、秋田からは遠い近畿の地、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、滋賀県、和歌山県(2府4県)に在住の卒業生300余人である。例年の行事である総会・懇親会へは四、五十人が出席する。出席者は秋田中学時代の卒業生から平成時代の卒業生と幅が広い。数年前までは、昭和11年卒の泉義一さん、栗谷廣さん、富永知一さんの3人が揃って出席されていたが、最近では昭和20年卒の渡辺良宏さんが筆頭である。若菜会1期生、昭和29年卒の加藤伸子さん、豊田武子さん、増出悦子さんは常連である。平成24年秋の総会・懇親会へは学生である平成21年卒の高橋界君(同志社大・法)、平成24年卒の小野秀平君(京大・工)が初参加で出席してくれた。2人は近畿地方の大学に在学中の学生諸君の同窓会への参加の呼びかけに応えてくれた方々である。


現役学生も参加、心強い先輩たちの応援
  (近畿支部総会、平成24年11月)

 実は、どの同窓会もそうであろうが、若い方の参加が少ない。これは最初のきっかけをつかめないというのが理由の一つだろう。小生の場合は、入社早々に、栗谷さん(元支部長)がわざわざ会社へ訪ねてきて、同窓会への参加を勧誘されたのが最初である。以来ほぼ毎年参加し、そのたびに元気をもらい、お蔭でサラリーマン生活を全うできたとも思っている(栗谷さんからは会うたびに、「お前、部長になったか?」と言われ、励まされたものである)。現役学生の2人も次回も参加したいと言ってくれているので、これを機会に学生の会員がどんどん参加してくれることを期待したい。

 総会では、毎回、会員の方へ話題提供ということで会員による講演をお願いしている。懇親会の話も盛り上がるという趣向である。近畿支部の会員も多士済々であるので、その方々のお話を聞けるのは楽しみである。ここ数年の講演者は次のとおりであり、話題は多方面にわたる。

  • 萩原征三郎(昭和34年卒、元産経新開論説委員)

    「『食』から国の安全を考える」

  • 福田豊史(昭和42年卒、いぶきクリニック副院長)

    「腎不全治療の30年」

  • 伊勢谷祥三(昭和34年卒、元三菱鉱石輸送、船長)

    「船と航海の話」

  • 小沢弘道(昭和34年卒、PHP研究所)

    「松下幸之助に学ぶ―社会貢献の考え方―」

  • 石川浩次(昭和27年卒、石川技術士事務所代表)

    「兵庫県南部地震とこれからの地震防災計画」

  • 森松洋(昭和36年卒、元ANA)

    「ANAのサービスについて」

  • 菅原裕和(昭和42年卒元朝日放送)

    「民間放送60年―変わるもの変わらないもの」


母校への熱いエールを送って再会を誓う

 近畿支部の活動としては、総会・懇親会のほかに甲子園(硬式野球)、花園(ラグビー)での応援がある。しかし残念ながら、野球は平成15年の夏が最後、ラグビーも平成18年の師走が最後となっている。創立○十周年という記念の年は予選を勝ち抜いて大阪へ来るというジンクスがある。平成25年の今年は140周年である。必ずや来てくれるものと、期待している。その時は同窓生大挙して駆けつけ、声援をおくるものである。

宇佐見 一雄 (S33卒)

宇佐見 一雄うさみ かずお さん (S33) プロフィール

昭和14年秋田市生まれ。昭和37年東北大学工学部機械工学科卒、同年三菱電機(株)に入社。同社中央研究所、神戸製作所に勤務。この間、主として重電機器、新エネ機器の開発に従事、平成12年同社退職。現在、関西オートメイション(株)技術顧問。平成18年より秋高同窓会近畿支部長。兵庫県西宮市在住。