同窓会支部活動 (1)

東京同窓会

2014年09月01日更新

多士済々、多彩な活動 会報誌発行し情報発信

鎌田  進(昭和47卒)

 明治6(1873)年9月1日から歴史が始まり今年で140年、秋田高校の関係者の皆さんには誠におめでとうと申し上げる。秋田高校東京同窓会一同衷心よりお祝い申し上げる。

 高校に在学する期間は3年という人生の長い年月から見たら一時の期間だが、社会に出てもこの3年間は決して忘れることができず、それが故に多くの諸先輩やわれわれ同窓生も日本各地において同窓会を開催しているゆえんである。

 秋田高校の同窓会が創立されたのが大正4(1915)年8月22日で当時の校友会から独立してできたものである。その時に同時に東京でも支部が創設され秋田高校同窓会東京支部と称した。今年で98年になる。その後平成13年5月19日に秋田高校東京同窓会と改称し現在に至っている。近年の秋田高校東京同窓会活動の一端をご紹介する。


就職懇談会終了後、賀詞交歓会に移行。
現役学生たちの就職活動に諸先輩の助言は貴重
(平成25年1月)

 大きくは3つの行事を中心として活動を行っている。「定期総会」と「賀詞交歓会」それに「学生と社会人との交流会」(就職懇談会)である。定期総会は1年を通しての活動の報告会である。毎年6月か7月上旬に行っている。総会では秋高OBの著名人に講演をお願いしている。国連事務総長特別顧問を務められた明石康さん、元東京大学総長佐々木毅さん、東レ経営研究所社長(現特別顧問)佐々木常夫さん、大腸がんの権威工藤進英さん、読売新聞特別編集委員橋本五郎さん(現東京同窓会長)等々である。講演と年間報告が終わると親睦を兼ねた大宴会が始まる。老いも若きも秋高生に戻り当時の話で盛り上がる。

 賀詞交歓会は毎年1月下旬に開催している。この時は20代、30代の若いOBの方に講演をお願いし、ご自分の仕事と高校時代のことを語ってもらっている。賀詞交歓会と同じ日に学生と社会人の交流会(就職懇談会)を大学2年生、3年生を中心として行い、その年にもよるが20人~40人ほど参加いただいている。就職が厳しくなってきた昨今は参加人数が増えてきている。内定を取るための方法や面接にどう対応したらよいかなど20代のOBを中心として学生に丁寧にお伝えし、また不安や悩みも聞いて一人ひとりに対応している。以上が3大行事として必ず行っているものである。

 同窓会幹事も20人ほどおり、奇数月の第2金曜日に集まり幹事会を行っている。3大行事のことや会報誌のことなど色々なイベントのことを話し合っている。東京同窓会では独自に会報誌「天上はるかに」を年2回発行している。行われたイベントの内容やそれに出席した人の声、今後のイベントの予告、同窓会以外でも同期会が行われていてその模様の紹介記事と写真の掲載、さらには東京同窓会の会費を納めていただいた方の氏名の掲載等々盛りだくさんの記事を掲載し、会員諸氏に配布し楽しんでいただいている。

 東京には、秋田県内の各高校からのOBも大勢おり、そのOB会の集まり「在京秋田県高校同窓会連合会」(秋高連・あきこうれん)の総会がある。その総会は秋田県知事をお呼びして開催される。また秋田市内だけにある高校のOB会「秋田市高校連合けやき会」(秋田市情報交換会)には秋田市長をお呼びし総会が開かれる。これら秋田県域の高校に関係する会合にも積極的にわが東京同窓会は関わりを持ち出席もしている。


三種町の橋本五郎文庫を訪ねた東京同窓会有志
(平成23年)

 秋田県に住んでいる方はご存じのことと思うが、東京同窓会長の橋本五郎さんが出身地三種町に「橋本五郎文庫」を平成23年4月29日に作られた。開庫式に出席できなかった東京同窓会の有志がその秋、「五郎文庫を訪ねて」と称して秋田県をぐるっと回ってきた。新幹線で秋田駅に着いてから高校の隣にある同窓会館に寺田事務局長を訪ね、その後母校を私と1年C組で机を並べた高橋貢校長にご案内していただき、生徒さんたちが授業を受けている様を拝見し、自分の高校時代を懐かしみつつ八郎潟のホテルに泊まった。翌朝橋本五郎文庫を訪問し、五郎さんの長兄にご案内いただき中曽根康弘元総理が揮毫した看板の前で記念写真を撮り、その後大館比内町の宿に落ち着き本場きりたんぽ鍋で一升瓶を開けた。帰りは秋田内陸縦貫鉄道に揺られ角館でおいしいお酒と料理をいただき、新幹線で東京へと帰ってきた。

 このような企画も東京では行っていて、もともとが秋田高校で繋がった人たちは気さくに打ち解けることができ、楽しく同窓会活動を行っている。


平成24年度定期総会 

鎌田 進 (S47卒)