同窓会支部活動 (3)

仙台支部

2014年09月01日更新

東北の中心都市 同窓生多彩に活動

相澤雄一郎(昭和28卒) 

 仙台市は平成元年4月1日、東北で初めての政令指定都市になった。人口は現在106万人。塩釜市、多賀城市、岩沼市、名取市などを含めた仙台圈エリアには宮城県全人口232万人の6割ほどの146万人が居住している。官公庁、大学、産業経済、文化など諸機能が集まり、名実ともに東北の中心都市になっている。

 仙台圈には同窓生が約600人いるが、東北大学はじめ在仙各大学の学生を加えると1000人を超す仲間がいるはずだ。

 仙台支部は昭和48年4月21日、支部長に稲見春夫氏(昭和13卒、元東北電力常務)を据えて発足、その後菅原晃一氏(昭和16卒、元国鉄仙台管理局)、同60年に藤原敬司氏(元東北電力)が引き継ぎ、年1回の総会を開き親睦を深めてきた。事務局は東北電力本店内に置いた。

 同窓生数が増え、勤務先が様々で連絡がスムーズに行かないなどで総会出席者が少なくなり、平成9年11月の総会を最後に休眠状態になった。

 しかし、有志の間で母校への熱い思いを行動で示そうということになり、平成20年11月28日、ハーネル仙台で再興総会を開催した。

 支部長に相澤雄一郎(昭和28卒、元河北新報常務・編集局長)、副支部長に千葉勝司(昭和29卒、元東北電力)、新田目倖造(昭和30卒、元東北電力常務)、幹事長に神谷謹一(昭和37卒、元東北電力)の各氏が就任した。顧問に岩崎俊一(昭和19卒、東北工業大学理事長・前学長)、吉本高志(昭和36卒、第19代東北大学総長、独立行政法人大学入試センター理事長)の両氏をお願いした。

 再興第1回総会には昭和15年卒から平成15年卒までの各世代100人が出席、大いに盛り上がった。

 再興第2回総会の平成21年11月6日には、7月の仙台市長選挙で当選した奥山恵美子氏が出席した。全国の政令市では初めての女性市長。奥山氏は秋田市出身で昭和42年、秋田高校に入学したが、2年生の時に盛岡一高に転校。東北大学経済学部卒業後、仙台市役所に入り、教育長、副市長を歴任した。
「学都仙台」で岩崎、吉本両氏が大学のトップ、今度は行政トップに奥山氏が就いたということは、校歌にある「敬天愛人理想を高く、おのれを修めて世のためつくす」という”気概”を示した。同窓会から贈られたスクールカラーの紫色地に校章、「秋田高校同窓会仙台支部」と染め抜かれた旗を前に100人の同窓生が校歌を斉唱、奥山仙台市長の健闘にエールを送った。


第3回仙台支部総会(平成22年11月)
 

 平成22年11月5日の第3回総会もうれしいことがあった。岩崎俊一顧問が同年4月21日、日本のノーベル賞(国際科学技術財団、賞金5000万円)である第26回日本国際賞を「工業生産・生産技術」の分野で受賞されたので、総会で30分間の記念講演をお願いした。

 東北大学工学部電通信工学科教授時代の30年前に、ハードディスクの磁気記録方式を水平型から垂直型にする方式を発明、いくつもの障害を乗り越えて実用化に成功した。世界で6兆円産業になっている。「戦時中の5年生の時に海軍兵学校に入ったが終戦。多くの仲間を失ったが、世のために尽くす、という信念で生きてきた」と約90人の後輩に感銘を与えた。

 世の中はいいことばかりではない。平成23年3月11日、世界で4番目のM9・Oの巨大地震が発生、宮城、岩手、福島3県を中心に約2万人が犠牲になった東日本大震災に襲われた。奥山仙台市長は先頭になって復旧、復興に取り組んだ。会員の消息を知るためにもと同23年11月2日、第4回総会を開催、被害の状況は様々だったが約80人がお互いの無事を確かめ合った。高橋貢校長が出席し「平成25年は本校創立140周年である。春夏25回目の甲子園を目指す」と挨拶、当日参加していた最後の甲子園出場選手の佐藤翔氏(平成16卒、JR東日本)が「甲子園出場目指してがんばろう」と檄を飛ばし、震災で沈んだ空気を吹き飛ばした。

 同窓会総会は中高年者に偏りがちだが、仙台支部は平成年度卒業者が3分の1は出席してくれる。職種が多彩で総会を通して異業種交流の輪が広がるとともに相互理解が広がっている。

 百万都市仙台と郷土秋田のつながりは、今後ますます深まっていくだろう。「道州制」という時代も来るかもしれない。仙台支部は同窓生の親睦、交流ばかりでなくそれぞれが培ってきた「力」と「世のためつくす」という思いを抱いて母校、郷土の発展にお役に立ちたいと願っている。

相澤 雄一郎 (S28卒)

相澤 雄一郎あいざわ ゆういちろう さん (S28) プロフィール

昭和9年9月9日生まれ。昭和33年東北大学文学部社会学科卒、同年4月河北新報社入社。石巻総局長、編集局次長兼報道部長などを経て平成3年編集局長、同6年取締役、同8年常務。三陸河北新報社長、石巻コミュニティ放送社長も務めた。