文武両道…若かりし日々 (6)

生物部

2014年09月01日更新

秋田高校生物部OB会の歩み

高橋 祥祐(昭和34卒)

 平成24年6月、「第2回手形山ばっけの会」がイヤタカ(旧彌高会館)で開催され47人が集合した。この会は、しばらく休眠していた秋田高校生物部同窓会の覚醒活動を期し、昨年発足した。発起人は、羽生勝(昭和38卒)、谷野亮平(同)、渡部晟(同)に菅原洋(昭和40卒・元秋田高校長)、菊谷一(昭和44卒・当時の秋田高校長)などである。会の名称は、生物部の機関誌「ばっけ」によるが、組織は「新秋田高校生物部同窓会」である。昨年の第1回は、予想を超える60余人の参加で会場はパンク状態だった。山小屋の合宿や海のキャンプ、文化祭での交流など忘れられない思い出の話題で賑わった。昔は、海や山の合宿では、顧問が不在でも大学生や社会人の先輩たちが必ず指導してくれたこと、文化祭終了後は先輩たちのカンパで食材を求め、解剖したヤギやウサギを鍋にして反省会を開いてくれたことなど、話題は尽きなかった。


教師に代わり先輩が指導役のキャンプ
(昭和29年春、秋田市山内・藤倉水源地で)

 同窓会は佐藤尚作(昭和21卒)初代会長以来続いていたが、同窓会報1号は、西田(昭和27卒)2代目会長を含めた新幹事の努力で昭和33年に発行され、昭和51年の18号まで続いた。また、生物部の活動を内外に発信する機関誌「ばっけ」は昭和53年の28号まで発行された。両者の会員名簿から集計すると、昭和21年卒から昭和53年卒まで376人(鬼籍に入ったのも含めて)の会員名が記録されている。例年、新入会員の歓迎会は、西田会長の紹介で大町3丁目の「ひのや」、その他で開かれていた。


西田会長ご夫妻(2列目中央)を囲んで
(平成13年4月、当時雄和町のクリプトンで)

 文化部としては珍しい大世帯の部員は、昆虫班・植物班・動物班・微生物班・生理班などに分かれ、地学部から飛び出した古生物班まで誕生した。そして、部内発表会では新知見の発表を競い合い、その成果は「ばっけ」に記載された。そんな活動の延長は同窓会でも続き、長年の部活動の成果を集大成し、本会から発刊された『秋田県太平山の植物』[昭和39年発刊、桑山邦亨(昭和30卒)・望月陸夫(昭和33卒)共著]は、全国から注目され初版の500部は売り切れ増刷となった。また、佐々木道夫(昭和30卒)先輩が仁別で採ったツマグロヒラタコメツキが保育社の図鑑に掲載されたり、トワダカワゲラの専門家の福島大学河野光子教授が部室に訪問されたことも刺激だったし、渡辺晟がオオツノシカの化石を男鹿で発見したことは古生物班を奮起させた。その化石は秋田大学を経て国立科学博物館に保管されている。

 そんなトピックスも含めて生物部は燃えていた。正確な統計資料ではないが、生物部は他の部に比して兄弟部員が多いとも言われている。長男か長女が入部すれば、弟や妹も入部するほどの魅力があったのだ。もうひとつの特徴は、進学率7割の時代に生物部の進学率は9割だったことである。部活で英語の論文を購読したり、部活の合間に先輩から後輩に補習が行われたりしたこともあるが、最大の要素は赤点を取って補充を受けなければならない部員はキャンプに参加できない慣習と思われる。キャンプに参加したいために、勉強したのかもしれない。

 生物部には運動部のような全国大会はなかったが、大阪府の北野高校や弘前高校、青森高校、干葉の習志野高校などの生物部と機関誌の交換を行っていた。また、当時の昆虫指導者は顧問の松山忠先生だったが、ほかにも和洋高校の本郷敏夫先生(後に本会顧問となる)など他校の先生たちにも指導を仰いでいたし、全国の研究者に標本の同定を依頼していた。植物は、国立科学博物館の佐竹義輔先生に標本の同定を依頼していたが、ある時3か月も返事がなく、「ばっけ」の原稿に困った。先生の海外出張のためである。


ハクセンナズナ(写真提供:脇坂良子氏・昭和33年卒)

 その頃に、「秋田に博物館があれば、こんなことにはならないだろう」という山小屋での会話から、「秋田に博物館を作ろう」「それには、一高校の生物部だけでなく、全県の生物部で標本を集めよう」と、「秋田県高等学校生物部連盟」が結成された。しかし、この連盟は構想が壮大すぎて3年で瓦解したが、その夢は秋田県立博物館設立構想に引き継がれ、当然、秋田高校の廊下に山積みされた植物・昆虫の標本は、県博の収蔵資料の基礎にされた。県博の開館後、県博の後援団体として「秋田自然史研究会」を結成したのは同窓会を脱皮した昔の虫キチ・草キチたちである。今なお80代を先頭に野山を駆けめぐっている主要メンバーが秋田自然史研究会にエネルギーを注いだ結果、母体の同窓会は休眠状態になったが、いま長い眠りから覚めたのだ。若い新幹事たちの今後の活動を期待する。

(敬称略)


平成11年10月16日付
秋田魁新報「北斗星」

  •  秋高生物部が太平山で発見した「ハクセンナズナ」との再会を綴ったコラム「北斗星」より
  •  〈58年前、太平山で秋田高校の生物部一行が発見したのを最後に、県内での生息情報はなかった。秋田市の元高校教諭、熊谷隆さんは生物部員として発見時の山行に加わっていた。(中略)ようやく再会した熊谷さんは、よくぞ生きていてくれた、と感激している。〉

高橋 祥祐 (S34卒)

高橋 祥祐たかはし よしすけ さん (S34) プロフィール

昭和14年秋田市生まれ。昭和38年東北大学理学部生物学科卒業と同時に母校に赴任、14年間生物科教師。その後横手高、西仙北高各教頭を経て県立博物館副館長。前秋田自然史研究会会長、県自然保護協会会長、日本自然保護協会・日本植物学会各会員。