新たなる伝統への流れ (1)

はじめに

2014年09月01日更新

 秋高創立140周年を迎え、この10年間をふり返るとき、消費社会や情報化社会の進展や経済のグローバル化とそれに伴う産業構造の変化の中で、教育や学校を取り巻く環境もまた激しい変化の荒波にさらされ続けてきた。21世紀に入り、これまでの教育のあり方を規定してきた教育基本法の全面改正など、戦後日本の教育制度やシステムの変革を伴う教育改革が次々と推進されている。しかし、本校の「文武両道」「自主自律」の伝統精神は、色あせるどころか現在においてなおいっそうの光輝を放ち、その意義を確固たるものにしているといえよう。

 1990年代以降の学力低下論争に端を発し、ゆとり教育からの転換が図られるなど日本の教育力が問い直される中で、「品性の陶冶」を第一とする本校の教育理念および教育目標は揺らぐものではなく、「学力の充実」にあっては、生徒一人ひとりが高い志を持ち、「入れる大学」から「入りたい大学」を目指して第一志望進学を実現する着実な成果として結実している。

進路指導の歩みでは、平成22年度入試で東大・東北大の合格者数(過卒生を含む)が本校の最多記録を更新(平成25年4月現在)、翌年の国公立大学医学科の現役合格者数は、全国公立高校でもトップクラスを誇る。「眠れる獅子」が目覚め、全国にその名をとどろかせることとなった。

 「学力の充実」とともに、「心身の錬磨」が本校の教育活動における不動の礎である。部活動や生徒会活動、学校行事を通して培う不屈の精神力と強靭な体力こそが、秋高を新たな歴史と伝統へと突き動かしていく原動力となり得る。

 運動部の記録では、前回の創立130周年にあたる平成15年には、硬式野球部が通算19度目となる夏の甲子園大会出場の悲願達成を、ラグビー部も見事6度目の花園大会出場を決めた。山岳部はインターハイで男子縦走準優勝の快挙を成し遂げた。それ以降も卓球部、テニス部、ボート部、柔道部、剣道部、弓道部、陸上競技部、バドミントン部、水泳部等で全県総体優勝ならびにインターハイ出場や全国大会出場を果たしている。このうち平成19年の「秋田わか杉国体」では本校の選手がゴルフや馬術、フェンシング等を含む8競技に13名が出場し、天皇杯・皇后杯獲得に貢献した。また、平成23年の「北東北インターハイ」では選手はもちろん多数の生徒が大会ボランティア補助員として大会成功の一翼を担った。

 文化部もまた、日ごろの演奏活動や創作活動が活発に行われ、各種コンクールやコンテストに積極的に参加するとともに、その成果を秋高祭などで広く県内外に発表している。文化部の記録をみると、全国高校総合文化祭への参加により、文芸部、美術部、写真部、囲碁部、将棋部、放送委員会、新聞委員会等においてその活躍ぶりが認められる。さらに、将棋部の全県将棋大会団体優勝10連覇の偉業達成(平成25年)、文芸部の短歌甲子園(全国高校生短歌大会)団体準優勝や個人の部最優秀賞の受賞(平成20・22年)は特筆すべきこととして挙げられよう。

 また、「着装の自由化」に象徴される「自由」や「自主自律」の精神や校風は、本校のアイデンティティーの基軸として脈々と継承されている。この変わらぬ秋高魂が存分に発揮されるのが生徒会活動・学校行事である。三大行事(運動会・秋高祭・学級対抗)は教職員との連携を図りながら、すべて生徒の手による自主的な企画・運営によって実施されている。本校の「自由」と「自主自律」の精神は、その理念を歴史的事実の遺産として慈雨のごとく一方的に享受すべきものではない。ただいたずらにその恩恵に盲従するのみであれば、いかなる崇高な理念や伝統も因襲に堕するであろう。したがって、「自由とはなにか」「自由はどうあるべきなのか」を自らに問い続けていくことによってのみ、「自由」に息吹が吹き込まれ、秋高の魂として「いま」に鼓動を響かせ得るものではないか。

 さて、創立140周年にあたり、秋高のこれからはどうあるべきなのか。現在学校では、あらゆる教育活動をキャリア教育の推進の視点に立って見直しや再構築を図り、新たな歴史と伝統の継承発展に努めている。人生の展望に立って、人間としての在り方、社会人としての生き方を自ら主体的に選択、決定できる人間形成を目指す教育活動の推進は、まさに本校の教育目標「品性の陶冶」を具現化することに他ならない。「品性の陶冶」とは、思いやりの心を深め、知性と感性を磨き、人間を鍛えることであり、「学力の充実」(勉学)も「心身の錬磨」(部活動や生徒会活動)も、この「品性の陶冶」に帰結する。これからの時代や社会において人間性豊かでスケールの大きい人間、世のため人のために尽力できる人間を目指すことである。つまり、本校の校歌が示す普遍の真理二つ―「わが生わが世の天職いかに」「おのれを修めて世のためつくす」と歌い継がれてきた秋高精神をもう一度見つめ直し、継承していくことが必要であろう。

 近年の「格差社会」は、経済や雇用の領域のみならず若者から希望や意欲までもそぎ落とす。社会が教育を規定するが、社会の在り方を変革していくのも教育の力である。本校がキャリア教育的視点を光源とし、今後の将来像を未来のスクリーンに映し出すとき、そこにあるのは光る希望のまなざしを持ち、自ら主体的に人生の困難や社会の閉塞感を打破し、未来の地平をたくましく切り拓いていける秋高生の姿であるに違いない。