偉大な先輩諸氏に学ぶ

秋田県立秋田高等学校長 菅原 洋

2013年11月01日更新

 秋田県立秋田高等学校創立百三十周年に当たり、同窓会の記念事業として、大きな足跡を残した先輩についての顕彰誌である「先蹤録」が刊行されることになり、この度その上梓を見ることができたことは誠に喜びに堪えないところであります。ご多忙中の中、編纂に当たられました各委員及び資料の提供等、様々な分野でご協力下さいました皆様に深甚なる敬意と衷心からの感謝を申し上げます。

 この「先蹤録」は、明治十三年本校第一回卒業生で大政治家の町田忠治氏から、大正十四年卒業で「甲子園球児」第一号の伊藤勝三氏まで、四十五年間の同窓生の中から、政治、経済、医学、工学等々、様々な分野において、その道の権威者となるなど、大きな仕事を成し遂げられた四十三名の先輩の足跡を取り纏めたものであります。

「人間」とは不思議なもので、自身は自分にとって最も身近な存在でありますが、しかしよく考えてみると、未だよく分からない部分、可能性をも有している存在でもあります。この「未見の我」を知るためには、多くの人と交わったり、様々な体験的な活動をすることがありますが、今一つの方法は、この「先蹤録」のような書籍を通して優れた先人の生き方を学ぶということがあります。

 ここで紹介される方々の中には、必ずしも始めから順風満帆な人生を送ったわけではなく、極めて貧しい生活であったり、或いは様々な理由から、学校を途中で退かなければならなかったりした方も多くおられます。

 例えば、昭和四年に文部大臣になられた田中隆三氏は、旅費がないことから、秋田から東京までの六百キロメートルを徒歩で上京したとのことであります。また、ゲーテ研究の木村謹治氏や創作舞踊の大天才石井漠氏などは、有名なストライキ事件で退学になっております。河村重治郎氏は、卒業まで後四か月を残して中途退学をしたそうでありますが、その後の努力で辞典作りの名人と言われるまでになり、「よく生き よく働き よく世に尽くした」と辞世を詠まれたそうであります。これらのようにたとえ逆境にあってもめげることなく、信念を持って努力し続けることで道を切り開いていくその姿には敬服の念を禁じ得ません。

 いずれ、ここに収録された方々は、本校校歌「わが生わが世の天職いかに……、敬天愛人理想を高く おのれを修めて世のためつくす」を具現された方々であります。

 私達は、このように素晴らしい先人の生き方に大いに学び、これからの人生の道標としたいものと思います。

 「先蹤録」の発刊、心からお祝い申し上げます。

 平成十五年七月